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ユダヤ教 ━ ユダヤのお祭り

ユダヤの暦と祝祭日の一覧

ユダヤ祝祭日と西暦の対応表(2014年から2019年まで)



祭りの種類

新年「ローシュ・ハシャナ」

贖罪日「ヨム・キプール」

仮庵の祭り「スコット」

律法の祝典「シムハット・トーラー」

光の祭り「ハヌカ」

樹木の新年「トゥ・ビ・シュバット」

エステル記の祭り「プリム」

過ぎ越しの祭り「ペサハ」

七週の祭り「シャブオット」

ラグ・バオメル(オメルの33日目)

神殿崩壊日「ティシャ・ベアヴ」

新月「ローシュ・ホデッシュ」

イスラエル独立記念日

★『やさしいユダヤ教Q&A』(ミルトス)もご参照ください★

■ユダヤの暦と祝祭日の一覧

 

 ユダヤ暦月 西暦月 祝祭日 内容
1 ニサン 3-4  ペサハ(15-21日)  過ぎ越しの祭り
2 イヤール 4-5  ラグ・バオメル(18日)  オメルの33日目
3 シバン 5-6  シャブオット(6日)  七週の祭り
4 タムーズ 6-7  * * *  * * *
5 アヴ 7-8  ティシャ・ベアヴ(9日)  神殿崩壊日
6 エルール 8-9  * * *  * * *
7 ティシュレー 9-10  ローシュ・ハシャナ(1-2日)
 ヨム・キプール(10日)
 スコット(15-21日)
 シムハット・トーラー(22日)
 新年
 贖罪日
 仮庵の祭り
 律法の祝典
8 マルヘシュバン 10-11  * * *  * * *
9 キスレブ 11-12  ハヌカ(25日)  光の祭り
10 テベット 12-1  * * *  * * *
11 シュバット 1-2  トゥ・ビ・シュバット(15日)  樹木の新年
12 アダル 2-3  プリム(14日)  エステル記の祭り


■ユダヤ祝祭日と西暦の対応表(2014年から2019年まで)

 

ユダヤ暦 5775年 5776年 5777年 5778年 5779年
祭日 西暦 2014 2015 2016 2017 2018
  ローシュ・ハシャナ 9/25-9/26 9/14-15 10/3-4 9/21-22 9/10-11
  ヨム・キプール 10/4 9/23 10/12 9/30 9/19
  スコット 10/9-10 9/28-29 10/17-18 10/5-6 9/24-25
  シムハット・トーラー 10/17 10/6 10/25 10/13 10/2
  ハヌカ 12/17-24 12/7-14 12/25-1/1 12/13-20 12/3-10
  西暦 2015 2016 2017 2018 2019
  プリム 3/5 3/24 3/12 3/1 3/21
  ペサハ 4/4-11 4/23-4/30 4/11-18 3/31-4/7 4/20-4/27
  イスラエル独立記念日 4/23 5/12 5/2 4/19 5/9
  ラグ・バオメル 5/7 5/26 5/14 5/3 5/23
  シャブオット 5/24 6/12 5/31 5/20 6/9
  ティシャ・ベアヴ 7/26 8/14 8/1 7/22 8/11


■暦

 

 世界で共通に使われている年号は、西暦です。実はこれはキリスト教徒のものです。西暦を略してAD××年などといいますが、Anno Domini(「アノ・ドミニ」主の年に)の略号ですから、明らかにキリストの生誕日からの計算の意味です。ユダヤ教徒は使いません。使わざるを得ない場合も、CE(Common Era「コモン・イアラ」共通暦)の何年という言い方をします。紀元前も西暦では、BC(Before Christ)ですが、ユダヤ人はBCE(Before Common Era)といった略号を使います。

 ユダヤ暦の年は、西暦に3760年を足した年数に等しいですが、これはラビたちが聖書に基づいて天地創造から計算したという年数を採用したものです。日本人は、戦前には神武紀元(皇紀)を用いていましたが、神話に基づいていて、科学的でないという非難がありました。ユダヤ人の場合、堂々と神話に基づく天地創造、あるいはアダムの時代からの年号を、民族としてまたイスラエル国家として採用しているのは、興味深いと思われます。

 ユダヤ暦の新年は、西暦では9月から始まります。そのわけは後でお話しします。暦の単位である「月」は、聖書では、新月から次の新月までの29日か30日の時間を1カ月とする太陰暦です。

 地球が太陽を1周する時間を1年とするのが太陽暦ですが、太陰暦12カ月は、太陽暦との間に約11日間の誤差が出てきます。春の月がいつの間にか季節を外れてしまい、大変不都合をきたします。それで、それをうまく調節する工夫が考案されて、ユダヤ暦が出来上がりました。タルムード時代に作られたものが基本的に現在でもユダヤ教で用いられ、イスラエル国も公式にはこの暦で行事が執り行なわれています。

 具体的には、太陽暦とのバランスは、19年に7回閏年を設けて、閏年は1年13カ月として調節されます。つまり、閏月を加えるわけです。それで、大体春の祭り、過越しの祭り(ペサハ)は西暦の3月か4月に来ることになりました。

 キリスト教徒のお祭り、例えば、復活節(イースター)は実は、ユダヤ暦のペサハの日なのですが、4世紀ごろ、キリスト教の宗教会議でユダヤ人の暦を使うのは沽券にかかわるというわけで、計算式をつくってその日(ほとんど同じ日)を決めることにしたそうです。実質的には、教会の大事な行事の幾つかもユダヤ暦に沿っています。

 それでは、イスラエルでは西暦は通用しないのかと言うと、もちろん、そんなことはありません。国際時代ですから、2008年セプテンバー(9月)何日と言います。と同時に、イスラエルの英字新聞でも日付が5769年エルール月の何日と併記されています。しかも、イスラム暦の日付も載っているのも面白いですね。

 ただし、国の公式行事はユダヤ暦でします。1948年5月14日にイスラエルは独立しましたが、その日はユダヤ暦でイヤールの月5日でした。このように独立記念日などは毎年、西暦によれば異なった日付になります。

 日常生活では通常西暦で通しています。現代ヘブライ語の月の名前は、英語の月名の翻訳に近いですね。一般市民の間では「今日はアヴの15日です」という言い方はしません。ヤヌアル(1月)、フェブルアル(2月)などと呼んでいます。


■祭りの種類

 

 ユダヤ人が今も歴史と伝統を大事に守っているのが、1年間の祝祭日の行事からもうかがえます。行事が多様ですので、まずざっと総括的にお話しして、次にそれぞれを各章に分けて説明しましょう。

 大きくは3つに分類されます。第1のグループは、旧約聖書に守るべく規定されているもの。第2のグループは、旧約聖書に記された出来事、または古代の民族史に由来するもの。第3のグループは、近代の歴史の出来事に由来する記念日。

 第1グループには、聖書に3大祭りとして記されているお祭りがあります。もともと遊牧民だったユダヤ民族ですが、カナンの地といわれたパレスチナに定住して農業を生活の糧にした時代が長く続きました。農業や自然と関連して生まれた祭りで、季節の節目に祝われたものです。

 春の過越し祭(ペサハ)、夏の七週の祭り(シャブオット)、秋の仮庵の祭り(スコット)がそれです。これらの祭りの日には、「年に3度、男子はすべて、主なる神の御前に出ねばならない」(出エジプト記23:17)と定められていますので、3大巡礼祭とも呼ばれています。これは、エルサレム神殿への巡礼のおきてになりますが、実際にすべての人が実行したわけではないようです。

 その他、新年と贖罪日(ヨム・キプール)が第1グループにあたります。もっとも厳粛な、宗教的な祝祭日です。このグループは、安息日と同様に労働を禁じられた日で、「聖日」として扱われます。

 第2グループは聖書に祭りとして守るように規定されていませんが、長い年月を経てユダヤ民族の伝統の中に生きているものです。モーセの律法とは関係がありませんし、また会社や銀行、官庁が休みにもなりません。いわば、半分聖なる日です。そのような祝日を「小さな祝祭日」と呼んだりします。

 小さな祝祭日というとき、通常、ハヌカ、プリム、ティシャ・ベアヴ(神殿崩壊日)という祭日あるいは記念日のことを指します。さらに、ローシュ・ホデシュ(毎月の1日、ユダヤ暦で新月の日に当たる)、ラグ・バオメル(オメルの33日)、トゥ・ビ・シュバット(樹木の新年)などを含めることもあります。

 第3グループには、ホロコースト記念日、イスラエル独立記念日、戦没者追悼日、エルサレムの日などがあります。ユダヤ人全体の記念日というより、イスラエル国内の行事です。しかし、世界各地のユダヤ人が全く無関心というわけでもありません。


■新年「ローシュ・ハシャナ」

 

 新年のことを、ヘブライ語で「ローシュ・ハシャナ」(年の頭の意)といいます。以下ではローシュ・ハシャナと呼びます。

 旧約聖書のレビ記23章には、神からモーセが命じられた祝祭日の一覧が載っています。実はレビ記のその箇所には、新年という言葉で出てきません。何と言っているかというと、「第7の月1日をあなたの安息の日とし、角笛(ショファール)を吹き鳴らして記念する聖なる集会の日としなさい」とあります。この第7の月1日がいま、ローシュ・ハシャナとして祝われる日です。

 週の7日目が安息日で聖なる日であるように、月の第7番目は1年のうちで聖なる月だとされるわけです。同様に、年についても7年目は安息年であり聖なる年と見なされます。

 ここで、聖書に言う第1の月は過越し祭のあるニサンの月で、4月頃に当たります。上掲の表にあるユダヤ暦の月の名称は、聖書時代以後、バビロン捕囚の間に現地から借用したものです。第7の月は、ティシュレーといいます。

 レビ記23章には、「第7の月の10日は贖罪日である」とあります。ローシュ・ハシャナから10日目に贖罪日(ヨム・キプール)が来ます。聖書には、1日と10日を特に結び付けていませんが、ユダヤ教では暦のうえで、この10日間を特別な日々と見なしてこの期間を一体に考えています。そして「畏れの日々(ヤミーム・ノライーム)」とか「裁きの日」とか言われます。

 この祝祭日は、他の祭日と違って、歴史の出来事や農業の祭日とは関係のないのが特徴です。例えば、過越し祭(ぺサハ)は、出エジプトの出来事を記念しますし、また春の祭りとして大麦の収穫を祝います。秋の仮庵の祭り(スコット)は、出エジプトの荒野の天幕生活をしのび、また収穫感謝の歓喜の祭りでもあるわけです。ところが、新年から始まる10日間は、自己を点検して内省し、神の前に悔い改めの時を過ごすという、純粋に宗教的な祝祭日なのです。


■贖罪日「ヨム・キプール」

 

 ユダヤ新年の後、10日目に来る贖罪日(ヨム・キプール)は、10日間の悔い改めの期間の最後を締めくくる、ユダヤ人にとってもっとも聖なる日です。常日頃はシナゴーグに行ったこともない人も、仕事を休み、シナゴーグに祈りに行ったり、家で静かに過ごします。イスラエルでは日本の元旦以上にあらゆる公の活動は停止します。バスも空港も休日です。旅行者はご注意のほどを。

 この祭日は、旧約聖書に由来しますが、民数記19:7に「その7月の10日に聖会を開き、かつあなたがたの身を悩まさなければならない」とある箇所の「身を悩ます」は断食を意味すると、ユダヤ教の伝承は解釈しているのです。

 そのほかに、「身を悩ます」はレビ記の16:29、23:27にも出てきます。この日には、24時間飲食を断つほか、夫婦の交わり、体を洗ったり、油を塗ったり、革靴を履いたりすることも控えます。


■仮庵の祭り「スコット」

 

 ヨム・キプールに続いて、その5日後、仮庵の祭りがやって来ます。ちょうど秋の収穫の季節にあたりますから、春の過越し祭(ペサハ)、七週の祭り(シャブオット)と並んで、農業祭の一面があります。イスラエルの民が農耕民となって、神の恵みを感謝したことに由来したのかもしれません。と同時に、ユダヤ人の祭りは必ず民族の歴史と結び付けられて祝われます。

 仮庵の祭りは、ヘブライ語で「スコット」と言いますが、1週間続き、シェミニ・アツェレット、シムハット・トーラーなどの歓喜と愉悦に満ちたお祭りがやって来ます。

 この祭りは農業祭が起源でしょうが、旧約聖書は次のように述べています。

 「あなたがたは7日の間、仮庵に住まなければならない……これはわたしがイスラエルでの人々をエジプトの国から導き出したとき、かれらを仮庵に住まわせたことを、あなたがたの子孫に知らせるためである。私はあなたがたの神、主である」(レビ記23:42-43)

 仮庵のことをヘブライ語でスカー(その複数形がスコット)と言いますが、仮庵を建てるのは、約束の地に行く途中で荒野に40年間流浪したことを記憶するためだというわけです。

 仮庵の祭りの名称については、出エジプト記の23:16では、「取り入れの祭り(ハグ・ハアシーフ)」と呼んでいます。

 また、タルムードでは単に「祭り(ハグ)」と言えば、このスコットを指します。こんな使い方が生まれたのは、スコットがもっとも楽しく、華やかに祝われたからなのかもしれません。

 ミシュナーに次のような格言が載っています。「ベート・ハショエヴァの儀式を見たことのない者は、本当の歓喜というものを知らない」(スカー5:1)。このベート・ハショエヴァとは、スコットの2日目の夕べ、シロアムの池から汲んだ水をエルサレム神殿に運び、それを祭壇に注ぐ儀式のことです。スコットは乾季の終わる時期にあたるので、雨乞いの象徴でしょう。歌い、踊り、手に手にたいまつを持って進む行列は、さぞ見事なものだったと想像されます。

 新約聖書(ヨハネ7:38)に、イエス・キリストが、仮庵の祭りに「私を信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その腹から生ける水が川となって流れ出るであろう」と叫んだとあります。このイエスの言葉は、神殿に水を注ぐベート・ハショエヴァの祭りを意識して、その儀式をよく知っているユダヤ人に語りかけたことが分かります。

 スコットは、「巡礼の祭り」とも言われます。ペサハやシャブオットも同様です。


■律法の祝典「シムハット・トーラー」

 

 ユダヤ教では、トーラー(モーセ五書)を毎週少しずつ読んでいき、1年かけて読み終えます。毎週どの箇所を読むかは、全世界のユダヤ人に共通して定められていますので、お祭りも日も共通です。

 さて、このトーラーを読み終えた喜びと感謝を表すのが、シムハット・トーラーの意味です。この日は、申命記の最後の部分と創世記の最初の部分を同時に読みます。

 シナゴーグ、特にハシディズム派の会堂に行きますと、大勢の人が歓喜に酔うようにしてトーラーを中心に踊りまくる光景が見られます。

 このお祭りは、タルムードにはまだその名で載っていませんでしたが、「シェミニ・アツェレットの2日目」と呼んでいます。このお祝いはイスラエルでは、仮庵の祭りから8日目のシェミニ・アツェレットに守られますが、聖地以外では9日目に守られます。

 シムハット・トーラーが終わると、お祭りのシーズンも去って、イスラエルに冬の季節がやって来ます。そして、12月のハヌカの祭りが待ち遠しくなります。


■光の祭り「ハヌカ」

 

 12月のクリスマスを迎える頃になると、ユダヤ教ではハヌカの祭りを祝います。これは旧約聖書に記されたお祭りではありません。ハヌカの祭りは歴史上の出来事に由来しています。

 紀元前2世紀、イスラエルの地(パレスチナ)はシリアのギリシア人の支配下にありました。異教徒のギリシア人は、彼らの文明、いわゆるヘレニズム文明を広めるのをその占領政策としていて、ユダヤ教の聖所であるエルサレム神殿をけがし、人々に異教の慣習を押し付けたり、ユダヤ教のおきてを禁じたりしました。それで、ギリシア人の圧制に反乱を起こして、ついに独立にまで導いたのが、モディイン村の祭司マタテヤとその息子たちでした。ハスモン家といわれる人々です。

 反乱の直接の原因になったのは、アンティオコス4世という王の、ユダヤ教弾圧でした。割礼や安息日を守ることやトーラーの勉強を禁じたり、神殿に偶像を入れようとしたのですから、ユダヤ人なら黙っておれません。

 反乱は強力なギリシア軍に勝利し、紀元前165年、エルサレム神殿を解放しました。ハヌカというのは、ヘブライ語で「奉納」とか「献堂」という意味です。祭りはユダヤ暦キスレブ月の25日から8日間祝われます。

 タルムードの中にハヌカに関するこんな記事があります。神殿を占拠したギリシア軍は、神殿の燭台(メノラー)を点す油の壷をみな汚した。しかし神殿解放の日、やっと1つの油壼が大祭司の封印のまま見つかった。油はわずか1日分にも満たなかったが、点してみると何と8日間も燃え続けたというのです。この奇跡を記念して祭日とされたというわけです。

 ですから、ハヌカは別名、「光の祭り」とも呼ばれます。

 ハヌカには特別な燭台を用います。神殿にあった7枝のメノラーではなく、8枝(台)ともう1つのろうそくをつける台がついていて、9本の台がある燭台です。これはハヌキヤと呼ばれます。

 ろうそくの火のつけ方ですが、1日ごとに1本ずつふやして点火していき、8日目に全部が点るようにします。点火用のろうそくは、「シャマシュ」という呼び名がついています。

 ハヌカとクリスマスは同じ季節にありますが、特に関連があるわけではありません。ただし、ハヌカの祝われ方の歴史をみますと、昔はハヌカがそれほどユダヤ教では関心を呼んでいなかったのは事実です。年中行事として近年盛んになったのは、キリスト教の影響なしとは言えません。

 欧米などのキリスト教国では、クリスマスは何と言っても最大の喜びと楽しさに満ちた祝日です。子供たちにとって、日本のお正月以上に待ち遠しい日です。そんな環境に囲まれたユダヤ人が自分たちの子供たちに何もしないわけにはいきません。それで、クリスチャンにならってでしょうか、子供たちにプレゼントをしたり、楽しい祝い方を工夫するようになったと言えそうです。

 子供たちは、親からお小遣い(ハヌカ・ゲルトという)をもらい、ハヌカのろうそくを点すのを手伝い、一緒に祝祷の歌を歌います。「ラトケス」という油で揚げたポテトのパンケーキをごちそうになり、こま(ドライデル、ヘブライ語でスビボンという)を回すゲームを楽しんだりします。ですから、冬の寒い季節も家庭の中は温かなぬくもりを保っている、いかにもユダヤ人らしい祭りがハヌカです。


■樹木の新年「トゥ・ビ・シュバット」

 

 シュバットはユダヤ暦の月の名前で、西暦の1月から2月にかかる月です。この月は春の新年の始まり、ニサンの月から数えて11番目にあたり、これと言った聖書的な祝祭日は存在しません。その15日目がこのトゥ・ビ・シュバットなのです。

(ヘブライ語の文字は数字をも表します。טו は、15に相当します。それを読むと「トゥ」となるわけです)

 この日は、ユダヤ人の口伝律法(ミシュナー)によると「樹木の新年」と呼ばれています。この頃イスラエルの地では冬の季節も峠を越して、雨期の到来と共に、樹木(他の植物も)が命を芽生えだすちょうどその時期です。いわば、樹木が新生する日とでも言ったらいいのでしょうか。

 タルムードの賢者たちは、聖地との結び付きを大事に思い、祝祭日に定めました。昔は、この日いろいろの果実を食べてお祝いをしたそうです。

 イスラエルでは、「植樹の日」として、皆で野山に木を植えます。イスラエル民族がその故郷の地に帰ってきて、トゥ・ビ・シュバットは新しい意味を見出したと言えます。

 植樹はもちろん、この日に限るわけではなく、イスラエルの人々は国土を愛して何か記念したいことがある度に木を植えますね。例えば、子供が誕生したときとか。

 人々の熱心が実って、イスラエルの国土は随分と緑化されてきました。それでもなお、全世界のユダヤ人の家庭に呼びかけて植樹の基金を募っていますが、それはディアスポラ(海外)のユダヤ人が故郷の地との連帯感を深めることに貢献しています。

 余談ですが、イスラエル国は大変に自然保護に力を入れています。旧約聖書を読むと、イスラエルには森があったことが書かかれていますが、この2000年の間にすっかり荒廃して、シオニズム運動の開拓者たちはこの地をよみがえらせるのに非常な苦労をしました。1901年にユダヤ基金を作って緑化に努力し続けた結果、現在は、自然保護局が緑化のみならず動物や植物の環境保護に見事な成果を上げています。

 イスラエルには、聖書の植物を集めた聖書植物園がありますし、多くの花の原種が自然の野山に咲き乱れます。また、緑が回復した地は渡り鳥にとって別天地ですから、春と秋はバードウオッチングにとって最高の地となるそうです。

 渡り鳥や植物、砂漠など、イスラエルや聖書などに見る自然をテーマにしたエッセイは『聖書と自然と日本の心』(ミルトス、池田裕著)をご参照ください。


■エステル記の祭り「プリム」

 

 小さな聖日の1つに、プリムという祭りがあります。毎年ユダヤ暦のアダル月の14日に祝われますが、通常2月の終わりから3月にかけてこの日が巡ってきます。

 このプリムもユダヤ人の歴史から生まれました。ユダヤ人は昔からあちらこちらに離散して異国の支配者の元に暮らして来ましたが、紀元前5世紀、当時の大帝国ペルシアに住むユダヤ人があわや、ホロコーストのように民族絶滅の瀬戸際まで行ったところから救われた、という奇跡的な出来事がありました。それを物語るのが旧約聖書のエステル記で、それを記念する祭りがプリムです。

 プリムには皆会堂に集まって、エステル記を読みます。簡単にその内容をお話しましょう。

 時代は、紀元前5世紀、ペルシア帝国の都スサで起きた出来事です。ユダヤ人がバビロンの捕囚からペルシアによって解放されたのですが、当時まだ多くのユダヤ人がその帝国支配下の各地に住んでいました。その頃、アハシュエロス王(またの名をクセルクセスとも呼ばれる)の大臣ハマンがユダヤ人を憎んで、民族絶滅の勅書を王から上手に取って全国に公布しました。

 ここに2人のユダヤ人が登場します。モルデカイとエステルです。モルデカイは伯父の娘(つまり、従兄弟になる)エステルが両親を亡くした後自分の娘として育て、やがてエステルは王宮に入り、王妃となっていました。この民族存亡の危急の時にエステルは身を捨てて王に直訴し、ハマンの謀略は失敗に終わります。アダルの月13日に、絶滅するはずの運命からユダヤ民族は救われ、逆にハマンは絞首刑に処せられました。

 エステル記に「こういうわけで、地方の町に散在して住む離散のユダヤ人は、アダルの月の14日を祝いの日と定め、宴会を開いてその日を楽しみ、贈り物を交換する」(9:19)とあります。

 また、「ユダヤ人が敵をなくして安らぎを得た日として、悩みが喜びに、嘆きが祭りに変わった月として、この月の両日を宴会と祝祭の日として、贈り物を交換し、貧しい人に施しをすることとした」(9:22)とあります。

 このエステル記は、近代文学のメロドラマのあらゆる要素を含んでいると言われます。貧しいユダヤ人の娘が大帝国の王妃に出世し、その彼女が奇しくも民族を救う話。ロマンと献身と陰謀、最後の勝利。悪人と英雄モルデカイの深慮遠謀と勇気など。詳しくはエステル記をお読み下さい。

 プリムの日の夜と次の朝、ユダヤ人は皆会堂に集まり、巻物を開けて読みます。

 この日は子供たちが一緒に参加します。いろいろな騒音を立てる道具を持ってきます。そして、朗読者がエステル記を読み進むうちに、ハマンの名が出ると、待ち構えていて、例のガラガラを鳴らして、ハマンの名が聞こえないように騒ぎ立てます。これを楽しみに、次にその名が登場するまで静まり、やがて再び大騒ぎをします。ハマンが約60回も出てくるようです。

 「悩みが喜びに変わった」とエステル記にある喜びを表現するのに、タルムードはめちゃくちゃに酔っ払いなさいと書いています。正確に言うと、「モルデカイに祝福あれ」と「ハマンに呪いあれ」の区別がつかなくなるまで、です。

 ユダヤ人はどちらかというと、コーシェル(食事規定)もうるさく、飲酒など控え目です。それだけ、民族の危機を何度もくぐった体験から、エステル記の救いは民族の心の底からの願望です。プリムの祝いは解放と救いの象徴でしょう。

 プリムの夕べ、前日の断食から解放されて会堂に行き、エステル記を読み、家庭に帰ると、お祝いです。浮かれ騒ぎも許される日です。それで、パーティを開いて、仮装行列などもしたりします。こんな習慣は、15、6世紀頃イタリアのユダヤ人の間でその地のカーニバル(謝肉祭)の影響で始まったと言われます。

 この日にユダヤ人の家庭を訪ねますと、3角形のクッキーが出ます。ハマンタッシェンという名がついています。ドイツ語で「ハマンのポケット」という意味です。ヘブライ語では「オズネイ・ハマン」(ハマンの耳)と呼んでいます。これは近代になってからの伝統のようです。


■過越しの祭り「ペサハ」

 

 ユダヤ教の数ある祭りの中でユダヤ人にもっとも親しみあるものといえば、何といってもそれは「過越し祭(あるいは過越しの祭り)」でしょう。原語では「ペサハ」といいます。最近の調査では99%のイスラエル人がペサハを守っているとのことです。

 ユダヤ人について知りたいと思う人は、まずこの祝日を理解することから始めるのが近道です。ペサハはユダヤ人の歴史に根ざしたもっとも古い伝統を誇る祭りで、旧約聖書によればモーセによるエジプト脱出、いわゆるエクソドスとも呼ばれる出エジプトを記念した行事なのです。つまり、イスラエル民族の贖い(救い)を記憶し神に感謝するためにある祭りです。時期的には春の祭りで、農耕と牧畜に起源をもつ祭りと歴史が一緒になったものです。

 子供たちも一緒に参加する過越し祭を通じて、ユダヤ人は彼らの民族の歴史と信仰を連綿と伝えてきました。そのようにして、ユダヤ人は幼い時から、出エジプトの物語を覚えてしまいます。そして、先祖を苦難から救った神が自分たちも救ってくれるという信仰が培われてきたのです。ペサハごとに「すべての代々において、人は自分自身をあたかもエジプトから脱出したかのように見なければならない」(ハガダー)と唱えます。

 この頃にイスラエルを旅行する人は、ホテルに泊まっても普通のパンはなく、「種入れぬパン」しか出ないので驚かれるかもしれませんが、不便でもペサハの雰囲気を味わうのは得難い機会ですね。

 過越し祭の特徴は、家庭で祝われる祭日だという点です。最初の夕べ、家族全員が集い、独特の食事をしながら、決まった式次第にそって祈ったり歌ったりして楽しく過ごします。この日は家族以外の友人や大切なお客さんを招待するのがしきたりです。来賓を迎えるのは家族にとっても喜びです。もしユダヤ人の家庭から過越し祭の夜の招待状を受けたら、それは大変名誉なことですから、参加してペサハを体験することをお勧めします。

 過越し祭(ペサハ)は聖書の中に記された3大祭りの1つです。この3大祭りは、それぞれ季節の変わり目にあります。春を告げるペサハ、夏のシャブオット(七週の祭り)、秋のスコット(仮庵祭)です。

 19世紀の聖書学者の考えによれば、元来、ペサハは別々の2つのお祭りが一緒になったものだといわれます。1つは農業祭で、ハグ・ハマツォットと呼ばれたもの。翻訳すると、「種入れぬパンの祭り」、つまり酵母(イースト)の入っていないパンの意味です。日本語の聖書には「除酵祭」とあります。もう1つは、ハグ・ハペサハです。これは牧畜民の祭りで、共に春のニサンの月に祝われていました。

 この2つのうち、ハグ・ハペサハのほうが古く、これはまだユダヤ人が遊牧民だった頃、春の到来と共に家畜を犠牲に捧げて祝ったなごりです。ハグ・ハマツォットは、農夫たちが穀物の収穫の始まりを祝って初穂を捧げた春の祭りでした。

 時が経つうちに、2つの祭りは民族の歴史に起こった出来事、出エジプトと結び付いていったのです。聖書には次のような物語が書かれています。

 1.神がエジプトに災いを下そうとしたとき、犠牲の子羊の血を入り口の柱に塗った イスラエルの人々の家は、神が「過ぎ越して」いったので救われた(出エジプト記12章)。「ペサハ」の意味は「過ぎ越す」です。ここから「過越しの子羊」を指す言葉にもなりました。ハグ・ハペサハ(過越し祭)という言葉は出エジプト記34:25に出てきます。

 2.種入れぬパン(ハマツォット)は、イスラエルの民が急いでエジプトから出て行くときの様子と関連しています。「民はまだパン種(イースト)を入れない練り粉」を持って出発したことが書かれています(12:34)。

■ペサハのセデル

 ペサハの最初の夕食はそれぞれ家庭で、伝統的な形式に則って守ります。そのために式次第のような本があります。これをハガダーといいますが、そのテキストに沿って行なわれるこの夕食の儀式は、セデルと呼ばれるようになりました。セデルとは、「順序」という意味のヘブライ語です。

★ヘブライ語・英語・日本語が並記された『ハガダー』は、ミルトスから発刊されています★

 ところで、セデルの中で食事は象徴的な儀式の一部ですので、実際に食べるまで長い儀式が続くので空腹を覚えます。

 聖書にはセデルという用語はでてきませんが、エジプトでの過越しの夜、イスラエルの民はそれぞれの家で羊を屠って家族で食べました。

 その後、イスラエルでは王国時代、紀元前7世紀のヨシア王まで過越し祭を守っていなかったようです(列王記下23:22)。

 第二神殿時代になって、過越し祭が復活して、出エジプトの意味を伝承していくことが重要な儀式に取り入れられました。過越し祭は神殿を中心に執り行なわれました。この日は全世界から多くのユダヤ人がエルサレムに巡礼し、神殿では子羊が犠牲に捧げられ、その肉はエルサレムに集う人々に分け与えられて、家族で過越しの食事をしました。また、もちろんエルサレム以外のユダヤ人の家庭でも過越しの食事が守られ、セデルの原型が出来ていったのです。

 現代に伝わるようなセデルがいつ定まったかははっきりしませんが、一説には、紀元1世紀の終り頃には基本ができあがったとも考えられます。ラバン・ガマリエルの次のような言葉が伝承に残っているからです。

 「ペサハに3つの言葉を発せぬ者は義務を果たしたことにならない、それはペサハ(犠牲の子羊)、マッツァー(種入れぬパン)、マロール(苦菜)である」(ペサヒーム10:5)

 学者はこれを、ユダヤ人はこの3つを食べ、その意味を書いた文書ハガダーを読むことを義務とした、つまりセデルの原型があったと解釈しているわけです。

 歴史的には、ローマ人の饗宴(シンポジウム)の習慣をモデルにしたのではないかとの説もあります。

 過ぎ越しの祭りのセデルを迎えるとき、テーブルに大きな盆が置かれていて、その上に色々な食品が並べられています。

 これは過越し祭のセデルで用いられる象徴としての食品です。式の中で、ハガダーを読み進むうちに次々登場してきますが、その度に詳しい説明があります。何があるかと言うと、

 1) マロール(苦い菜)
 2) カルパス(野菜)
 3) ハゼレット(もっと苦い菜)
 4) ハロセット(くるみとりんごを交ぜたもの)
 5) ゼロア(子羊の前脚のロースト)
 6) ベイツァ(卵)

 6種類の食品はそれぞれ象徴的な意味がありますので、それを知ると、ユダヤ人の伝統の古さがお分かりになるでしょう。

 まず、苦菜と訳されるマロールというのは、わさびか西洋わさびですが、この苦菜はエジプトでの奴隷の苦難を象徴しています。

 カルパス(野菜)はエルサレム神殿の時代にさかのぼります。当時、食事の始まりのオードブルとして、野菜を食べたことに由来する慣習です。キュウリやレタス、ラディシュ、ポテトなど季節野菜が使われます。

 もう1種類の苦い菜がありますが、このハゼレット(苦菜)はマロールと同様な意味の象徴を持っています。聖書の「種入れぬパンと苦菜を添えて、それ(過越しの羊)を食べなければならない」(民数記9:11)とある箇所で、この苦菜は複数形で書かれています。それで、ハゼレットがマロールのほかに苦菜の1つに加えられるようになったと言われています。

 りんごやくるみ、シナモンなどをワインでしめらせて混ぜたハロセットは、エジプトで奴隷であったときのレンガ作りの象徴だそうです。時代と所によって、このハロセットは材料や作り方が違っています。

 子羊の前脚のローストを用いたゼロア(脚の骨)は、神の強い手を象徴します。イスラエルの民は神のみ手によって導かれたのです。また、過越しの羊をも象徴します。子羊の前脚に代わって、鶏やほかの鳥、または牛などの骨肉も使うことがあります。

 最後のベイツァは固ゆでの卵です。これは、神殿があった頃の祭にささげられた犠牲の捧げ物の象徴です。別の説では、神殿の喪失を悼むための象徴だとも言われます。

■ペサハのセデルの式のながれ

  1. カデッシュ(聖別)
  2. ウレハッツ(手を洗う)
  3. カルパス(野菜)
  4. ヤハッツ(パンを裂く)
  5. マギッド(物語)
  6. ラハッツ(手を洗う)
  7. モッツィ・マッツァー(パンへの祈り)
  8. マロール(苦菜)
  9. コーレフ(間にはさむ)
 10. シュルハン・オレフ(食卓)
 11. ツァフン(隠された物)
 12. バレフ(食後の感謝の祈り)
 13. ハレル(賛美)
 14. ニルツァ(最後の祈り)

★ヘブライ語・英語・日本語が並記された『ハガダー』は、ミルトスから発刊されています★


■七週の祭り「シャブオット」

 

 初夏の七週の祭りはユダヤ人の3大祭り(聖書では男子は神殿に巡礼する義務があった)の1つです。ヘブライ語でシャブオットといいます。西暦の5月か6月頃にやってきます。

 出エジプト記の23章16節には、「あなたが畑に蒔いて得た産物の初物を刈り入れる、刈り入れの祭り」とあります。この祭りは、また出エジプト記の34章22節にも出てきて、ここに「七週の祭り」と呼んでいます。そこには「小麦刈りの初穂の祭りを行なわなければならない」と定めています。

 また、口伝律法のミシュナーを見てみると、このお祭りは村人たちがまず各地の大きな町に集まり、最初の収穫を神殿に運んだという記事があります。そして神殿ではレビ人たちが歌をうたって出迎えたそうです。

 このお祭りは、シバンの月6日に祝われます。七週というのは、ペサハの2日目から数えて7週と1日目(つまり50日目)がこの日に当たるからです。ギリシア語で、ペンテコステ(50日の意)というのはその意味です。ただし、聖書にはっきりと日付けが決められているわけではありません。それで、賢者のヒレルとサドカイ派の人たちとの間で議論があったことが伝えられています。

 小麦の収穫期が始まる頃ですので、新しい小麦の穂で作った小麦粉が祭司に捧げ物として捧げられました。旧約聖書の民数記28章26節に「初物(ビクリーム)の日」とあるところから、ハグ・ビクリームという名称が生まれました。

 また、小麦の初収穫を刈り入れるところから、「刈り入れ(ハカツィール)の祭り」とも言われるわけです。これでもわかるように、シャブオットは農業祭の一面をもっております。

 この日には、シナゴーグではルツ記が読まれます。

 旧約聖書のルツ記は、ルツという異国の女性がイスラエル人の姑のナオミにどこまでも付き従って、イスラエルに行き、ついにボアズという地主の嫁になるという美しい物語です。シャブオットにふさわしい内容です。まず、ルツとボアズが出会ったのは、麦畑でルツが落ち穂拾いをしていた時ですが、ユダヤ教では、それはシャブオットの季節だったとされます。

 ルツは、のちのダビデ王の曾祖母です。面白いことに、伝説は、ダビデ王はシャブオットに生まれ、そしてこの日に死んだと伝えています。

 聖書によれば、ルツはイスラエル人でありませんでしたが、イスラエルの神を信じていました。そこでユダヤ教は、ルツはトーラーに忠信であったと見て、彼女の生涯をたどって読むのはこの聖日にふさわしい、と考えたわけでしょう。

 ここで注目したいのは、ダビデといえば、ユダヤ人の中でも最も偉大な人物であり、最も敬愛される王様です。その家系に異邦の女、ルツがいたことをわざわざ記して、聖書にまで載せていることです。


■ラグ・バオメル(オメルの33日目)

 

 ユダヤ教には、ペサハの2日目から、オメルの数えという日数を数えるしきたりがあります。その33日目に、ラグ・バオメルというお祭りがやってきます。その名は、文字通りオメルの33日という意味です(ヘブライ語のラグ לג は数字の33を表します)。

 この祝祭日は特に休日にはなりません。お店も、学校も、官庁も開いています。

 タルムードの伝承によると、紀元2世紀、有名な賢者ラビ・アキバの弟子たちが、おそらくローマ軍への反乱に加わって多く倒れましたが、その災厄がラグ・バオメルの日に終わったということです。それで、オメルの期間、約7週間は熱心なユダヤ教徒は服喪の時として、髪も刈らず髭も剃らず、結婚式もしませんが、ただしラグ・バオメルの日だけはお祝いしてよいそうです。

 また、カバラーの神秘主義を奉じる人たちには、カバラーの大事な教典「ゾハル」の作者ラビ・シメオン・バル・ヨハイがこの日に天に帰ったという伝承があります。地上では死ですが、天上では神との結婚だと信じていますので、祝日です。ラグ・バオメルは、イスラエル北部の町ツファット付近のメロン山で盛大に祝われます。かがり火が焚かれたりします。

 イスラエルのほかの町でも、空き地で子供たちを中心に火をたいて、にぎやかに過ごしているのを見かけます。


■神殿崩壊日「ティシャ・ベアヴ」

 

 夏の季節に、イスラエルや世界中のユダヤ人が断食をする小さな聖日がやって来きます。これもユダヤ民族の歴史に関連した祭りです。祭りというより、服喪の日と言ったほうが適切でしょう。彼らの民族性をよく表している祭日です。

 ヘブライ語で、ティシャとは9、ベアヴとはアヴの月という意味です。ユダヤ暦のアヴは、大体西暦の7月末から8月頃に来ます。

 伝承によれば、紀元前586年のこの日にバビロニア人によってエルサレムの神殿が破壊され、その後建てられた第二神殿も紀元70年のこの日にローマ人によって破壊されたとされます。これは民族最大の悲劇の日と見なされて、ずっと記憶されてきました。いわば、ユダヤ民族の敗戦記念日といってもいいでしょう。

 もちろん、旧約聖書には最初の神殿が失われ国が滅んだ出来事は書かれていますが、この記念日を守れとの定めはありません。

 この日は、贖罪日(ヨム・キプール)についで重要な断食の日です。信仰熱心な人は、この日ばかりか、この月の最初の9日間、肉食を控え、服喪のしきたりを守り、あるいは髭や剃ったり髪を切ったりしません。悲しみを表すわけです。

 エルサレムでは、嘆きの壁に何千という人がやってきて、祈りを捧げます。嘆きの壁(西の壁)は、ソロモンの神殿の唯一の遺構ですから、この日にまさしく嘆きを表現するにふさわしいところですね。革製品の着用も避けますので、裸足やスニーカーでやって来る人たちを多く見かけるのもこの日です。

 また、前夜からシナゴーグに集まって、まるで葬式に参列するような雰囲気やしきたりで礼拝式を執り行ないます。

 ただし、この日は宗教的な聖日であっても、公の機関や会社では通常どおり、仕事をやっています。ホテルに泊まっても特別に断食を強いられるわけではありませんので、ご安心を。


■新月「ローシュ・ホデッシュ」

 

 昔は、ユダヤ人は月の満ち欠けで月の日にちを数えていました。つまり、太陰暦に従って暮らしていたわけです。古代においては新月を実際、肉眼で観測して、その日を新しい月の1日と定めました。(ユダヤ人の1日は、日没から始まることを思い出して下さい)

 モーセの律法は新月を祭日とは規定していませんが、祭日と並ぶ特別な日として、その日に犠牲を捧げるとき角笛(ショファール)を吹き鳴らせと命じています(民数記10:10)。

 また、預言者の言葉を読むと、古代の人が新月を安息日と同様に重んじていたことがわかります。例えば、イザヤ書の1:13-14など。アモス書の8:5を見ると、安息日と同じように仕事を休んでいたことが推測できます。

 神殿が無くなってからも、新月には特別の祈りをする習慣が残っていました。現在では、熱心な宗教家以外は特別の日だという意識はないようです。この日は、休日ではありません。


■イスラエル独立記念日

 

■独立記念日

 イスラエルは、1948年5月14日に独立を宣言しました。ユダヤ暦では、この日は5708年イヤルの月5日でした。そしてこの日を独立記念日(ヨム・ハアツマウート)として、毎年祝うことをイスラエル議会(クネセット)は定めました。

 ユダヤ教において、この独立記念日は、他の祝祭日と同様の宗教的祭日であると裁定されています。

 確かに、アメリカの独立記念日(7月4日)やフランスの革命記念日(7月14日)のように、世俗的な内容を含みます。独立はシオニズム運動の成果であり、一見宗教に関係ないようです。また、やたらに祝祭日を人工的に増やしていくのも好ましくありません。

 ところが、イスラエルのユダヤ教ラビ庁は、独立記念日をシナゴーグでも家庭でも伝統的敬虔さで祝うべき祝祭日と定めました。神への感謝と祈りを捧げる日です。理由は、2000年の流浪の運命を閉じて、ユダヤ人が父祖の地に独立国を再建したこの特別の日を宗教的にも祝うのは当然とことだと判断したからです。

 イスラエルの各指導層も、圧倒的多数で賛意を表しました。

■戦没者記念日

 独立記念日の前日に、戦没者記念日(ヨム・ジカロン)を守ります。ジカロンというのは、「記憶」という意味です。この日は、イスラエルの独立の戦いのために戦没した兵士を追悼し顕彰するために捧げられます。戦死者の墓地や当時の戦場を訪ねる人々が少なくありません。この日には楽しい催し物は一切しません。娯楽施設などは閉じることになっています。

 そして、夕べが来て日が沈むと、哀悼のムードは変わって、独立記念日に入り、喜びの祝賀に満ちた空気に覆われます。

 イスラエル議会(クネセット)が、「ホロコーストとゲットー決起の記憶の日」としてニサンの月27日を記念日に定めました。ヨム・ハショア(ショアの日)といいます。

 この日は、あのナチスの虐殺を忘れないと同時に、ワルシャワのゲットーでドイツ軍に武力蜂起した事実を記憶するためです。当時そこのユダヤ人は強制収容所に送られていきましたが、1943年4月19日、まだ残っていたゲットーの住民は抵抗に立ち上がり、圧倒的に優勢なドイツ軍に対し勇敢に戦ってのち、完全に抹殺されたのでした。

 ショアの日は、この蜂起の日と独立記念日の間にあります。イスラエル以外の地では、ユダヤ暦によらず、4月19日をワルシャワ・ゲットー蜂起の日として記念しています。

 イスラエルでは、すべての娯楽施設、銀行、学校などは閉館となります。